ふたたびまどろみのなかで

原口昇平のブログ

【仮訳】ヒバ・ダーウードの証言(『ガザ・モノローグ2023』から)

正直、具合がよくないんだけど、あったことをみんな話すよ。

はじめは自分の家にいた。夫とふたりで、一緒にれんがをひとつずつ積み上げて築いた家。そこに私たちがいるのに、戦車は止まらず近づいてくる。暮らしてたのは、アルシファ病院の裏手。戦車がどんどん近づいてきて、私たちはあるとても暗い夜、寝ている間に何発もの弾が頭上を飛んでいく中を生き抜いた。

私たちは朝まで待ってから、自宅を発ち、親族のところへ向かった。そう、「死ぬなら一緒がいい」ってよく言うでしょう。だから私の夫の一族と一緒にいた。みんなでひとつの家の中にいたけど、どこも安全じゃなかった。実際、ガザ地区のどこにも、安全な場所はひとつもない。2日後、ミサイルが1発、私たちの家に着弾した。お金なら替えがきくけれど、大切なのは、ありがたいことに私たちが無事だということ。

翌日の夜11時ごろ、夫の一族の家の近くで爆竹が鳴った。みんなは恐怖で震え上がり、おのおの子どもを抱きしめた。義父は義母を、夫は私とふたりの子どもをそれぞれ抱きしめていた。ロケット弾があたりに落ちてくる中、一緒に座って震えていた。ガラスや天井が砕け落ちはじめ、私たちはミサイルがやむのをいつとも知れず待っていた。少なくとも50発は飛んできたと思う。あたりに50発も撃ちこまれて、私たちは死を覚悟した。実際、死は避けられないと私たちは思った。落ちてくるミサイルは真っ直ぐ私たちに向かって飛んでくるんだから! 眼の前で火の手が上がり、ガラスが割れ、壁が崩れるのを見て、私はすっかりくじけてしまった。少なくとも1時間半、私たちの目前には死があった、紛れもない死が。

爆撃が止んだ。私たちはもう3階にはいられなくなった。壁や天井から水が漏れ始めていたから。そこで私たちは1階へ降り、階段下のスペースへ移動した。爆撃が再開するのではと2時間ほどその階段下にいたけど、何も起こらなかった。爆撃は止んだんだ、イスラエル軍は爆弾を切らしたんだと考えて、私たちは階段下から出た。

義父は立ち上がって祈り、夫は座ってコーランを読んでいた。夫は読み終えるとこう言った。「よし、寝支度をしよう。女性は寝室で寝てくれ。われわれ男性は大広間にいる」私たちはもう3日間寝ておらず、身体を休めることが少しもできていなかった。真夜中過ぎの1時、私は寝室へ行った。頭を横たえて、娘と息子と一緒に眠った。私は夫にこう言った。「そばにいて。そばで眠って」 だから夫は私の隣で眠った。

未明の3時、夫は寝室を出て他の男性たちの隣に陣取り、入れ替わりに義妹が私のそばへ来た。すると突然、家全体を揺るがす大きな衝突音がして、私は飛び起きた。爆撃されたんだ。あたり一面に粉塵が舞い、子どもたちは煤で真っ黒になり、私は息ができなかった。義妹が私のそばで泣いていたから、私は言った。「死ぬときは殉教者になるのだから、ねえどうか泣かないで」

義妹が何とか私に言えたのは次の言葉だけだった。「父さんとがいい、ヒバ、私は父さんと一緒に死にたい」 私は部屋の扉のほうを見たが、瓦礫の山に次ぐ山しかなかった。爆弾が直撃したのはこの家だったのだと分かった。

瓦礫の山をよじのぼって大広間へ行くと、人間の痕跡は跡形もなかった! 居間では男性たち全員が瓦礫の山の下敷きになっていた。誰の姿も見当たらなかった。誰の声も聞こえなかった。誰も生きていないかのように思われた。私は夫を探し、夫の名を呼び始めた。呼び続けたが、夫の声は聞こえなかった。私は義父を見つけた。まだ意識があった。義妹の夫は殉教者となっていた。どうか彼に神のお慈悲があらんことを。義妹の夫は、義父や夫と同じように医師だったけど、血まみれになって殉教していた。義父はまだ生きていた。だから頭を動かし、遺言を述べ、微笑んでから亡くなった。

私は夫を探し続けたが、見つけることができなかった。今思えばどうやったのか分からないけど、れんがを一つひとつ持ち上げていった。瓦礫をどうやってどけたのだろう。れんがを持ち上げながら夫を探し続けていると、ようやく頭を見つけた。頭皮が剥がれていた。つまり、頭皮の外側がぶら下がっていた。何も分からなくて、夫は死んでしまったと私は本当に思った。私は夫に向かって泣き叫び始めた。夫の名を呼び、この手で夫のまわりから石をどけていった。夫の両足はふたつの大きな瓦礫に挟まっていた。
大きな瓦礫を夫からどけると、苦痛を訴える夫の叫び声が上がった。まだ生きている。私は石を夫のまわりからどんどんどけていった。夫の頭皮は剥がれているだけでなく、耳までちぎれていて、ひとつながりのままぶら下がっていた。私が夫を助け出していると、隣で暮らしていた夫のおじがやってきて、夫を運ぶのを手伝ってくれた。私たちは大きな木片の上に夫を載せた。

そのとき奇跡が起きた。ふつうは住宅が爆撃されると、通信サービスは完全に遮断される。だけどそのときはまだつながっていて、医師である私の父に電話をかけることができた。しかも夫の携帯電話も使えた。夫も医師で、知り合いが大勢いたから、あちこちの医師に電話をかけて私が見た限りの現状を伝え、私にできることを尋ねた。本当に、私にできることといえば夫の頭に包帯を巻くくらい。身に着けていたヒジャブを脱いで夫の頭に巻いて結び、バンダナで覆った。全力を振り絞って夫の命を守ろうとした。

私の子どもたちは無事だった。外へ出て確認し、夫のところへ戻った。私の周りには子ども、子ども、子どもばかり。めいたちは瓦礫に埋もれていた。掘り起こして出してあげたけれど、みんな殉教していた。一家で殉教者9人。殉教者9人、9人。その中には生後28日のめいもいる。戦争中に生まれて、戦争中に死んだ。出生証明書よりも先に死亡証明書が出た。私たちが瓦礫の山を掘り探っているあいだも、爆撃は止まなかった。掘り進めているうちに周囲が火に包まれた。まったく容赦がない。爆撃は続いた。しばらくして爆撃が止むと、私たちは救急車、民間防衛隊、赤新月社に電話をかけたが、どこも出てくれなかった。応答はなかった。ようやく誰かにつながっても、こう言われた。「たどり着けません。そこまでたどり着けないのです」 想像してみてほしい。爆撃は未明の3時半。夫は負傷し、病院へ行かなければならないのに。

私は手を夫の胸に当てて痛みを和らげようとした。できることを全てしてあげようとした。誰もここへ来てくれないから。誰も。ここへ来ようとする救急車は、イスラエル軍によって撃たれるだろう。

誰もアブー・ハシラ街区へ立ち入ることができなかった。私は朝9時か10時頃まで夫のそばに座っていた。イスラエル軍は家を爆撃した後で、隊列を作って通りを行進した。私は、もとは家だった瓦礫の山の上で夫と一緒にいて、通りを見つめていた。お隣さんの家が視界に入ったから、話しかけに行ってこれからどうするつもりか、どこへ行くのかを尋ねた。参考にするためだ。

彼は電話番号を教えてくれた。そのとき2発のミサイルがお隣さんの家に落ちてきて、お隣さんが逃げようとしている間に家が崩れ落ちた。お隣さんは白旗を揚げていたのに、親戚のところへ逃げようとしていたのに、ミサイルが落とされ、お隣さんは殉教した。耐えられない。行くべきか、とどまるべきか、何をすべきかも分からなかった。世界に、私たちを代表して訴えかけることができる誰かに呼びかけようとしたけど、私たちには何もできなかった。赤新月社は、救急車を向かわせたとしてもイスラエル軍に攻撃されるから、たどり着けないという。何もできないのだ。本当に、私と一緒にいる生存者といったら、夫イブラーヒーム、夫のおじ、女性たち、夫の年老いた母、私と同年代の娘たち。夫を抱えて家の中の安全な場所へ移動させることもできなかった。上の階の天井が、下の階の天井の上に崩れ落ちていたから。

みんなただ、私の夫と一緒に座っているしかなかった。夫が呼びかけに答えられるかどうか、私は確認し続けた。私がときどき夫を起こして「生きていて、生きていて」と言うと、夫は何かつぶやくので、夫がまだ生きていることが確認できた。

午後4時半、爆撃はまだ続いていた。ミサイルが頭上の天井に落ちてきて、天井はまたも崩れかけている! 私は、家の中で一緒にいた人たち全員に夫を移動させなければならないと伝え、みんなでとても慎重に夫を運んだ。夫は瓦礫の下にいたので背骨がやられているかもしれなかったが、私たちは夫を運んだ。人には想像できないくらいとても慎重に。夫は痛みに身をよじっていた。かわいそうに、だけどいつ落ちてくるか分からない天井から夫を守らなければならなかった。爆撃を受けたけれどもう少しマシな状態で残った隣の家へ私たちは行って、座り込んだ。とても暗い夜だった。まさに、人生で最も暗い夜のひとつだった。すべての明かりを消して、すべての携帯電話をオフにして、自分たちがそこにいてまだ生きていることを、イスラエル占領軍の兵士たちに悟られないようにした。そしてひたすらに、朝になれば助けを呼べると私が家族に言い続けたから、私たちは朝へたどり着けたのだった。私たちは、私たちの助けを乞うてほしいとあらゆる知人に呼びかけた。するとありがたいことに、ジャアファリ先生が世界へ向けてくれた訴えが1800万回も視聴された。またアルジャジーラのおかげで、私たちにいくらか注目が集まった。殉教した私の義父は「ハママ先生」としてよく知られた医師だったからだ。アルジャジーラはこう報じた。「多くの負傷した女性と子どもがいるアル=ナハル家にも助けを」

午前9時、イスラエル占領軍から電話があり、直ちに家から退去するよう言われた。同じ通りには25の家族が暮らしていて、私たちと同じように追い詰められ、傷ついていたというのに、イスラエル軍から電話で即時退去を要求されたのは私たちの一家だけ。いわく、「直ちに家を退去せよ。さもなければ被弾するだろう。その家をわれわれはこれから爆撃する」というのだ。

私は兵士に言い返した。「私だって出ていきたいんだけど、夫がけがをしていて、病院へ行くには担架が要る。抱きかかえては行けない。この道では、背負って運べない。あたり一面、瓦礫と石なんだから。どうすれば夫を運べるっていうの?」兵士はこう答えた。「自分で解決しろ、こちらは何も提供しない」「ああそう、ああそう。じゃ赤新月社に言ってよ、私たちに退去してもらいたいって」兵士は言った。「赤新月社に手伝ってもらえ、直ちに爆撃する」兵士は繰り返した。「爆撃する、直ちに退去しろ」

それで私たちは狂ったように駆け出した。そう、まさに狂ったように。私が夫にここを退去しなければいけないと伝えると、夫は言った。「みんなと立ち去れ、俺はここに置いていけ。もういい、俺のためにお前を危険にさらすな。お前の命を守れ」それで私は言った。「神に誓って、私はあなたを置き去りにしない。あなたの隣で死ぬ。あなたと一緒でなければここを動かない」みんなが、私の夫を置き去りにはしない、むしろそばにいると言った。夫が共にここから離れるまでは、私たちはとどまる。

みんなで夫をプラスチックの椅子に乗せて運んだ。どうやったかはよく覚えていない。とにかく、まだローラーが動くオフィスチェアを瓦礫の中から見つけ出し、夫を乗せて、押した。私たちが暮らした通りからアルシファ病院通りまで、瓦礫の山の間を通って、夫を押していった。道半ばまでやってきたとき、どうしてか分からないが、二度目の奇跡が起きた。白旗を掲げている人が見えた。それから、私たちのほうへ担架を持って走ってくる若い男性の姿も。誰がその男性をここへ送り出したのかは分からない。どこから来てくれたのかも。でも確かに、彼は私たちのために来てくれた。

私たちはイブラーヒームを担架に乗せて、アルシファ病院へ走った。ありがたいことに、本当にありがたいことに、夫の頭皮は縫ってもらえて、耳はまたくっ付いた。検査の結果、夫の肋骨は3ヵ所折れていたので、肺に酸素を入れてもらった。ようやく、酸素吸入のためのチューブが与えられたのだった。

私は死を見た。死を見てしまった。夫は深い心の傷に苦しんでいる。本当に深い心の傷だ。目覚めたとき、夫は私のことを思い出せなかった。ふたりの子どものことも、誰のことも覚えていなかった。義父は殉教した。きょうだいは殉教した。体が真っ二つに裂かれて。イエメン大学で夫とともに医学を専攻し、誰からも愛されていた夫の義兄弟にして親友も、殉教した。夫は起きてしまったことに耐えられなかったのだ。深刻な精神的ショックに見舞われていた。現実から逃げ出そうとしていた。夫が私のこともふたりの子どもも思い出せないことが分かったとき、私の心はすっかりくじけてしまった。あのとき私がどんな思いで彼のそばに立っていたかは、神のみぞ知る。

2日後。私たちは病院で2日ほど過ごした。2日か3日か、正確には覚えていない。その後、アルシファ病院からすぐに退去するようにという命令が届いた。私は泣き出した。どうすればいいのだろう。イスラエル占領軍は私にアルシファ病院を出てサラーフッディーン通りを南へ向かえというが、12キロの道のりを徒歩で行かなければならない。しかもすぐに行けという。私は泣き出した。夫と私はどうしろと? それでも自分にはできる、行けるという声が聞こえた。病院中を2時間は探し回った後、ありがたいことに、夫のための車いすが見つかった。これに夫を乗せれば、押して行ける。

私たちはしかし、死から死へと進むことになった。本当に、死から死へ。アルシファ病院を出て、イスラエル占領軍が「安全な経路」と呼ぶものへと進んでいったのだが、イスラエル占領軍は嘘をついた。嘘つきなのだ。

私たちはサラーフッディーン通りの検問所にたどり着いた。私たちは4歳の娘を連れていた。食料は全くなかった。私は5歳の息子を抱えていた。バッグを背負い、夫を乗せた車いすを押していた。肩はずいぶん凝っていた。検問所に着くと、イスラエル軍は私たちを午前11時から午後4時まで待機させた。そして、誰ひとり通行を許可しなかった。これがイスラエル軍のやり方なのだ。座ることも禁じられていた。ずっと立ったままで、両手を上げることを強いられた。イスラエル軍は待機中の10人ほどを手当たり次第に拘束し、ただ「おまえだ、来い!」「おまえ、来い!」と言った。挙句の果てに、午後4時になっても、誰ひとり通過させなかった。イスラエル軍は全員に言った。「去れ」 どこへ去れと? どうやって? いわく、「われわれの知ったことではない。お前たちで解決しろ。そら、去れ!」 そこで立ち去ることを拒んだなら誰でも戦車によって砲撃され、逃げ出す人びとは背後から撃たれただろう。

私たちは当てを失くし、爆撃が続いている北へとまた戻った。夜の闇が下りたので、私たちは行き先を求めて、あたりが爆撃されている中を駆け抜けていこうとした。オリーブ通りに学校があった。危険だと思われている一帯だった。学校に避難していた人びとは、私たちを見ると「こっちへおいで!」と言い、私たちを学校へ連れていった。人生最悪の夜がやってきた。私たちは何も持っておらず、校内はとても寒かった。敷物、枕、毛布、どれもないまま教室の床に座った。子どもたちと一緒に、凍えるほど冷たいタイルの上に一晩中座っていた。そのあいだずっと学校は戦火に取り囲まれていて、爆弾の金属片がこちら目掛けて飛んでくるのだった。私たちは夜の間ずっと恐れおののいていた。そして朝7時には、銃撃戦。校門から撃ってきている。窓から外をうかがうと、戦車が校門のあたりに駐まったのが見えた。それで私たちは駆け出した。イスラエル軍が走る全員を背後から攻撃していった。走り続ける私たち。その背後から撃ち続けるイスラエル軍。そして私たちはまたガザ市へ戻った。人生最悪の日だった。私の義兄弟の親戚がいる地域にたどり着いた。ただただ、ひととき身を隠す家を見つける必要があった。自宅は破壊され、義父の家も破壊された。

戦闘休止中に家族が家に戻ったところ、もはや家は見つけられなかった。白燐弾が至るところに落ちたため、何もかもすっかり破壊され、跡形もなかったという。もうそこで暮らすことはできない。きょうだいの家はすべて、ひとつまたひとつと破壊された。妹の家も倒壊したが、妹と夫、その子どもたちは瓦礫の下から出てきた。神が守ってくださったのだ。みな住み家を失った。私たち全員が住み家を奪われたのだ。

私は死をこの目で見た。死を見てしまった。自分自身の目で見てしまったのだ。自分が陥ったこの状態から私は出られずにいる。私は自分を鼓舞しようとしている。家族の前では気丈に振る舞っているけど、内心ではすっかりくじけている。私は心をすっかり閉ざしている。どうしてこのすべてに耐えることができたのだろう。どうやって、みんなで瓦礫の中、学校の中を、あの後のすべての中をくぐり抜けてきたのだろう。最近、私今暮らしている家から離れたところが爆撃された。その爆発を見たが、あんなものではなかった。私の近くで起きたときのほうが、ずっと恐怖を感じた。思い出してしまう。私がくぐり抜けてきたすべてのことを。火に取り囲まれたときのことを思い出してしまう。壁が崩れてきたときのことを思い出してしまう。ひとつひとつのできごとがまた起きているかのようにすべてを思い出してしまう。私は母を抱きしめて言った。「お母さん、私は、見たことすべてがまた起きるのを見るのは耐えられない。もう見たくない。もう無理なの、耐えられないの!」私たちは今、この家にひととき身を寄せている。戦争が終わった後、私たちはどこへ行くのか、どこで暮らせばいいのか、分からない。
戦闘休止中、私は街へ出かけた。街は身のすくむようなありさまだった。荒野だ、荒野。文字通りの荒野。私は元の家へ行った。服の一着くらいでも何でも、見つけられるものはすべて持って行くためだ。そして私はかつての家が恋しくてひたすらに泣いた。何かを見つけようとしたが、何も見つからなかった。ミサイルが落ちたせいで、家は全く住みようがなくなっていた。私たちがそこにいなかったのは本当にありがたい! またありがたいことに、夫は少しずつ良くなっている。夫の健康状態は上向き始めている。ただし、縫合した部分の抜糸にはまだ時間が要る。それに、たくさんの瓦礫の下に埋まったので、夫の筋肉の回復にも時間が必要だ。心のショックからは立ち直りつつあるけど、辛抱しなきゃいけない。少なくとも2カ月はかかると言われた。ありがたいことに、時間さえあれば、前よりも良くなりそうだ。夫が経験した深刻な心の傷は、時間が癒やす。

こうして、あったことをすっかり話し終えた。これであなたがたもあいつらの悪事を暴露できる。私たちの声を広めて、私たちが経験してきたすべてを伝えてほしい。ありがたいことに、私はすべてを見た。大切な人を亡くした。家を失くした。資産を失くした。失わなかったものはただ神への称賛だけ。神よたたえられよ、神よたたえられよ、神よたたえられよ、私は無事です、夫は無事です、子どもたちは無事です。私の義父、義兄弟、義姉妹の魂に神のお慈悲があらんことを。私の義姉妹の夫ハーレドの魂に神のお慈悲があらんことを、そして私たちが失くした子どもたちの魂に神のお慈悲があらんことを。神に感謝します、私の子どもたちと私は無事です。夫についても神に感謝します。神の思し召しにより、夫は良くなるでしょう。神の思し召しにより、私たちは以前よりも善き人になっていくことでしょう。

【仮訳】ICJ南ア対イ訴訟 公聴会初日 南ア原告口頭弁論(2)第1セクション「ジェノサイドの行為」

原文:https://www.icj-cij.org/sites/default/files/case-related/192/192-20240111-ora-01-00-bi.pdf (pp.21-31)
※この暫定訳は法務分野を専門としない翻訳者が自らの学習のために作成したものであり、正確性は一切保障しません。また、原文の注は全て省略しています
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ジェノサイドの行為

 

アディラ・ハシム博士 ありがとうございます。裁判長、裁判官の皆様、この格別に重要な訴訟で南アフリカ共和国を代表して出廷することは名誉なことです。本訴訟は、ジェノサイド条約前文に示されているようにわれわれに共通する人間性の真の本質を浮き彫りにするものであります。

私の任務は、国際司法裁判所憲章第41条のもとでこうして〔われわれをして〕仮保全措置を緊急に要請するに至らしめたジェノサイドの行為について証言することであります。南アフリカは、イスラエルがジェノサイドの定義の範囲内に含まれる複数の行動をはたらくことによりジェノサイド条約第2条に違反したことを、強く主張いたします。かかる複数の行動には、ジェノサイドが推察される組織的行動パターンが表れております。

 

概要

アディラ・ハシム博士 これらの行為を歴史的文脈の中に位置づけることをお許しください。ガザは、1967年以来イスラエルによって占領されている、パレスチナ被占領地を構成する2つの領域のうちの1つです。現在画面に表示されている地図に描かれておりますように、およそ365km2の面積を有する細長い地区です。イスラエルはガザにおける領空、領海、検問所、水、電力、電波、民間インフラ、そして主要な行政機能のすべてに対する支配力を行使し続けています。つい先ほど法相が述べたように、空や海からガザへ出入りすることは禁じられており、イスラエルはわずか2か所の検問所を運用するばかりです。ガザは世界で最も人口密度が高い地域のひとつであり、そこにはパレスチナの人びとが230万人近く暮らしていたのであり、そのおよそ半数を未成年者が占めていました。

直近96日間、イスラエルはガザを、現代戦史上最も激烈な非核爆撃作戦のひとつといわれるものにさらしてきました。ガザのパレスチナ人は、陸海空の三方からイスラエル軍の兵器および爆弾により殺され続けています。

また、ガザのパレスチナ人は飢餓、脱水、疾病による差し迫った死の危険にもさらされています。これは、イスラエルによる包囲戦が継続され、パレスチナの街が破壊され、パレスチナの人びとへの十分な援助物資が域内に入れられず、空爆を受けているがためにこの限られた援助物資さえも分配不能となっているためであります。

現在の仮保全措置に関する段階では、本法廷がガンビアミャンマー訴訟で明らかにしたように、イスラエルの行為がジェノサイドを構成するか否かという問いに対する最終見解に、本法廷で到達する必要はありません。必要なのはただ、「少なくとも疑いのある行為の一部が...ジェノサイド条約で定められたところの範囲内に含まれ得る」ことを立証することのみであります。告発された具体的な、継続中のジェノサイドの行為を分析いたしますと、こうした行為のすべてではないとしても少なくとも一部が、本条約で定められたところの範囲内に含まれることは明らかです。

 こうした行為は、南アフリカが提出した訴状の中に詳細に記録してあり、信頼できる情報源(多くは国連)により裏付けを得ています。ですから、それらすべてを詳しく説明することはここでは不要であり、不可能です。ここでは、ジェノサイドの行為のパターンを例示するため若干の事実のみに光を当てることにいたします。依拠している国連の統計は2024年1月9日時点のものです。

南アフリカは、口頭弁論の中で、視聴覚資料を限定的に使用し、依拠する事実を説明してまいります。裁判長、われわれは控えめに、必要な箇所でのみ、常にパレスチナの人びとへの敬意をもって、そのようにいたします。

こうした背景に対し、私はこれから、いかにイスラエルの行為がジェノサイド条約第2条(a)(b)(c)(d)に違反するかを実証してまいります。

 

ジェノサイドの行為

 

2条(a):ガザのパレスチナ人を殺している

アディラ・ハシム博士 イスラエルが犯した第1のジェノサイドの行為はガザにおけるパレスチナ人の大量虐殺であり、これはジェノサイド条約第2条(a)違反です。

国連事務総長が5週間前に述べたように、イスラエルによる殺戮の規模はあまりに大きく、「ガザのどこにも安全な場所はない」ほどです。私が本日皆様の前に立つこの時点で、直近3か月以上に及ぶ攻撃の間に2万3120人のパレスチナ人がイスラエル軍により殺害されております。そのうち少なくとも70%は女性と子どもだと考えられます。およそ7,000人のパレスチナ人がいまだ行方不明であり、瓦礫の下で死亡したとみられています。

ガザのパレスチナ人はどこへ行こうとも容赦ない爆撃にさらされています。自宅でも、保護を求めた場所でも、病院でも、学校でも、モスクでも、教会でも、自分の家族のために食料と水を手に入れようとしている間にも殺されます。避難せずにいても殺されていますし、逃げ込んだ先の場所でも殺されていますし、イスラエルによると「安全な経路」であるはずの道に沿って避難を試みている間にさえ、殺されているのです。

殺戮の規模はあまりに大きく、発見された遺体はしばしば身元不明のまま、集団墓地に埋葬されているほどです。

 10月7日から最初の3週間で、イスラエル軍は1週間あたり6,000発の爆弾を展開していました。少なくとも200回、計2,000ポンドの爆弾を、「安全地帯」に指定したガザ地区南部に落としました。これらの爆弾は北部にも大きな被害をもたらしました。その中には難民キャンプも含まれます。2,000ポンドの爆弾は、使用可能な爆弾の中でも最も大きく破壊的な部類です。落としているのは、地上の標的を爆撃するために使用される強力な戦闘機。世界で最も豊富なリソースを有する軍隊のひとつによってです。

イスラエルは〔国連の表現でいうと〕「比類なき、かつ前例なき」数の民間人を殺害しています。しかも、爆弾ひとつでどれほど多くの民間人の命を奪うことになるか十分に承知していながらです。

ガザ地区パレスチナ人の家族のうち、家族構成員を複数人失った家族は1,800を超えています。そして何百という多世代家族が生存者なく全滅しています。母親たち、父親たち、子どもたち、きょうだいたち、祖父母たち、おじおばたち、いとこたちがしばしばまとめて皆殺しにあっています。

この殺戮は、まさにパレスチナ人の生活の破壊に他なりません。それは故意に行われています。誰も容赦はされません、新生児でさえもです。ガザのパレスチナ人のうち殺されている子どもの規模は、複数の国連機関の長が「子どもたちの墓地」と表現したほどです。この破壊は、申し上げているように、意図されたものであり、人道的にはもちろん法的にも、いかなる容認可能な正当化も超えてガザに荒廃をもたらしています。

 

2条(b):ガザのパレスチナ人に重大な肉体的または精神的な危害を加えている

アディラ・ハシム博士 南アフリカの訴状で明示した第2のジェノサイドの行為は、イスラエルがガザのパレスチナ人に深刻な身体的または精神的な危害を加えていることです。これはジェノサイド条約第2条(b)違反です。

 イスラエル空爆は、60,000人近いパレスチナ人を負傷させたり、四肢切断に至らしめたりしています。ここでもやはり被害者の大多数は女性と子どもです。医療体制がほとんど崩壊した状況でこれが起きています。この点については後ほどもう一度取り上げます。パレスチナの子どもを含む民間人が大勢、拘束され、目隠しをされ、衣服を脱ぐよう強いられ、トラックに載せられ、見知らぬ場所へ連行されています。パレスチナの人びとの苦しみは、身体的なものも精神的なものも、否定しようがありません。

 

2条(c):集団に対して全部または一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を故意に課している

アディラ・ハシム博士 第2条(c)違反に当たる第3のジェノサイドの行為に移ります。イスラエルは、肉体の破壊をもたらすために意図された、生活の維持を不可能にする条件をガザに対して故意に課しています。イスラエルはこれを少なくとも4つの方法で達成しています。

 第1に、強制退去によってです。イスラエルはガザにおけるパレスチナ人の約85%に退去を強制しています。逃げ込める安全な場所はどこにもありません。退去できないか、退去を拒む者は、自宅で殺されるか、または殺される極度の危険にさらされます。多くのパレスチナ人が複数回退去させられており、複数の家族が安全を探し求めて繰り返し移動を強いられています。

10月13日におけるイスラエルによる最初の避難命令は100万人超の人びとの避難を要求するものでした。対象の中には、子ども、高齢者、負傷者、体の弱い人が含まれています。複数の病院全体が避難を要求されました、新生児集中治療室に入っている早産児でさえもです。命令は、24時間以内に北部から南部へ避難するよう要求するものでした。この命令そのものがジェノサイド的です。命令は、人道支援が許可されておらず、燃料、水、食料その他の生活必需品の供給が故意に遮断されている中で、運べるものだけを持ってただちに移動するよう求めていました。明らかに、集団の破壊をもたらすよう意図されていました。

多くのパレスチナ人にとって、自宅からの強制退去は不可避的に永続します。イスラエルは今や、パレスチナ人の家では推計35万5000戸を一部損壊または全壊させており、少なくと約50万人のパレスチナ人を帰る場所がない状態に置いています。国際的な難民の人権に関する国連特別報告者によると、家やインフラは「徹底的に破壊されており、住み家を失ったガザの人びとは自宅へ帰る現実的な見通しを一切持てないようにされており、イスラエルによるパレスチナ人強制退去の長い歴史が繰り返されている」といいます。イスラエルが自ら破壊してきたものを再建する責任を引き受けるきざしは全くありません。

 むしろ、イスラエル軍は破壊を称賛しています。兵士らは、集合住宅地や街区を爆破したり、残骸の上にイスラエル旗を立てたり、パレスチナ人の住宅の瓦礫の上にイスラエル人入植地を再建しようとしたり、そのようにしてガザにおけるパレスチナ人の生活の基盤そのものを滅ぼしていく自分たちをうれしそうに動画撮影しています。

第2に、強制退去と同時に、イスラエルの行為は広範な飢餓、脱水、窮乏を引き起こすよう故意に意図されています。イスラエルの軍事作戦はガザの人びとを飢餓の瀬戸際へ追い込んでいます。「ガザの人口の93%という未曾有の割合が危機的水準の飢餓に直面している」という報道があります。世界で現在破局的な飢餓に苦しんでいる人びとの80%以上がガザにいることになります。

複数の専門家が今予測しているところでは、ガザのパレスチナ人は空爆よりむしろ飢餓と疾病でより多く死者を出す可能性がある状況です。そしてイスラエルは依然として、パレスチナ人に対する人道支援の効果的な提供を引き続き妨げています。十分な援助物資の入域許可を拒んでいるだけでなく、絶え間ない爆撃や妨害を通じてそれを容易に行き渡らせないようにしています。

まさに3日前、1月8日、複数の国連機関が計画した、緊急の医療用品と生命維持に必要な燃料を病院や医療用品センターに届けるミッションが、イスラエル当局により却下されました。これで12月26日以来、センターへの配送ミッションが却下されたのは5回目となります。この間、ガザ地区北部の5つの病院は救命に必要な医療用品や医療機器を入手できずにいます。

 入域を許可された援助物資のトラックは飢えた人びとにつかまります。提供されているものでは全く不十分なのです。[動画再生] 裁判長、裁判官の皆様、こちらはガザに到着する援助物資のトラックの画像です。

第3に、イスラエルは故意に、ガザのパレスチナ人が適切な避難先、衣服、衛生用品を得られない複数の条件を課しています。何週間にもわたり、衣服、寝具類、毛布など食料以外の必需品が深刻に欠乏しています。浄水はほとんどなく、飲用、清掃用、料理用に必要な水準を遥かに下回る量しか残されていません。

結果、世界保健機関〔WHO〕の発表によると、ガザは「感染性疾患の急激な大流行を被っている」といいます。5歳以下の子どもの下痢は、戦争行為の開始から2,000パーセント増加しています。同時感染や無治療の場合、栄養不良と疾患によって死に至る悪循環が生じます。

第4のジェノサイドの行為は条約第2条(b)に違反するもので、ガザの医療体制に対するイスラエルの武力攻撃です。これによって生命が維持できなくなっています。12月7日時点ですでに、健康への権利に関する国連特別報告者は「ガザ地区の医療インフラは完全に破壊されてしまっている」と指摘していました。

イスラエルにより負傷したガザの人びとは、救命医療を十分受けられずにいます。ガザの医療体制は、すでにイスラエルによる何年にも及ぶ封鎖とこれまでの侵攻によって機能を損なわれていましたが、絶大な規模の負傷者数に対処できなくなっています。

 

2条(d):生殖に関する暴力

アディラ・ハシム博士 最後に、成年・未成年の女子に対する暴力に関する国連特別報告者は、第4のジェノサイドの行為に含まれるであろうイスラエルが犯した行為を指摘しています。これはジェノサイド条約第2条(d)に違反するものです。

11月22日、国連特別報告者は明白に次のように警告しました。「イスラエルからパレスチナ人の女性、新生児、乳幼児、未成年への生殖に関する暴力は、〔ジェノサイド条約〕第2条に照らし合わせて、...「集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること」を含めて...ジェノサイドの行為として認められる可能性がある。」

イスラエルは、ガザで毎日180人の女性が出産していると推定される状況で、出産に不可欠な医療用品のキットを含む救命援助物資の配送を妨げています。WHOによると、これら180人の女性のうち15パーセントが、妊娠または出産に関係がある合併症を経験している可能性があり、さらなる治療を必要としています。そのような治療は全く利用不可能となっています。

 

行為のパターンが意図を示している

アディラ・ハシム博士 要するに、裁判長、以上の行為すべては、個別的にせよ集団的にせよ、イスラエルによる行為の計算されたパターンを形づくっており、ジェノサイドの意図を示しています。この意図はイスラエルの行為から明白です。

(1)ガザで暮らすパレスチナ人を特に標的としている、

(2)民間人を標的とする狙撃のほかに、人を殺す大規模な破壊をもたらす兵器を使用している、

(3)避難所を必要とするパレスチナ人に向けて安全地帯を指定しておきながら、その後これを爆撃している、

(4)ガザのパレスチナ人から、食料、水、医療、燃料、衛生、通信といった必需品を奪っている、

(5)住宅、学校、モスク、教会、病院など社会基盤を破壊している、

(6)人を殺し、深刻な傷害を負わせ、多数の子どもに保護者を失わせている。

ジェノサイドは決して前もって宣言されないものです。しかし本法廷はおかげで、過去13週間分の証拠を得ました。そこには、ジェノサイドの行為に関する信憑性が高い主張の証拠となる行為と関連意図のパターンが、議論の余地なく表れています。

ガンビアミャンマー訴訟では、本法廷は、ミャンマーラカイン州内のロヒンギャに対してジェノサイドの行為を犯しているという申し立てに対し、ためらいなく仮保全措置命令を発出しました。本日、本法廷に提出された数々の事実は不幸にもさらに荒涼たるものでさえあり、ガンビアミャンマー訴訟同様、本法廷の介入にふさわしく、それを必要としています。

 

第1セクション結論

アディラ・ハシム博士 パレスチナの人びとにとって、生命、財産、尊厳、人間性の回復不可能な喪失は毎日、増大しています。われわれに配信されるオンラインニュースには、身ているのが耐え難くなるほどの苦しみの画像が掲載されています。この苦しみを止めるものは、本法廷の命令以外にはないでしょう。仮保全措置の命令がなければ、数々の残虐行為は続くでしょう。イスラエル防衛大臣は、少なくとも1年間はこの一連の作戦を続行するつもりであることを示唆しています。

 国連事務次長の2024年1月5日の言葉から引用いたします。

「ガザに援助物資を届けるのが簡単だと思いますか? もう一度考えてください。トラックが入れるようになる前に3段階の検査があります。混乱と長い列。どんどん増える、却下された品目。一方の検問所はトラックではなく歩行者向け。他方の検問所は、トラックが絶望と飢えに苦しむ人びとに阻まれる。破壊された商業セクター。絶え間ない爆撃。問題のある通信環境。損傷した道路。撃たれる車列。チェックポイントでの遅れ。心に傷を負い消耗した人びとがどんどん小さくなる土地に押し込められていて、複数の避難所が総収容能力を長らく超えた状態になっており、支援活動をしている人自身が住み家を失い、殺されています。これが、ガザの人びとと、支援をしようとしている人びとにとっての手に負えない状況です。戦闘は停止しなければなりません。」

裁判長、裁判官の皆様、これでイスラエルによるジェノサイドの行為に関する私の陳述を終了いたします。ご傾聴いただき、ありがとうございました。ではジェノサイドの意図につきまして、ングカイトビ弁護士の発言許可をお願いいたします。

裁判長 ハシム氏、ありがとうございました。テンベカ・ングカイトビ氏、ご登壇をお願いします。ご発言ください。

(続く)

【仮訳】ICJ南ア対イ訴訟 公聴会初日 南ア原告口頭弁論(1)開始部分~冒頭陳述

原文:https://www.icj-cij.org/sites/default/files/case-related/192/192-20240111-ora-01-00-bi.pdf (pp.17-20)
※この暫定訳は法務分野を専門としない翻訳者が自らの学習のために作成したものであり、正確性は一切保障しません。また、原文の注は全て省略しています
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ブシムジ・マドンセラ駐オランダ南アフリカ共和国大使 裁判長、裁判官の皆様、本日は南アフリカ共和国を代表して出廷させていただき、光栄に存じます。

本法廷におかれましては、本件における仮措置命令の発出に関する南アフリカの請求を受けて、可能な限り最も早い日程で本公聴会を開催いただき、御礼を申し上げます。

われわれの訴状におきまして、南アフリカは、1948年以来イスラエルによる入植活動を通じてパレスチナの人びとが現在もなおナクバ〔大厄災〕を経験していると認識しております。パレスチナの人びとに国際的に認められた不可侵の自己決定権、および現在のイスラエル領内にある自らの町や村に難民として帰還する權利を、イスラエルは故意に認めず、組織的かつ強制的にパレスチナの人びとから土地や財産を取り上げ、パレスチナの人びとを退去させ、分断してきました。

われわれはまた特に、イスラエルグリーンラインの内外でパレスチナの人びとをアパルトヘイト下に置きながら、支配を確立するべく差別的法律、政策、慣行の体制を策定、維持してきたことを心に留めております。かように広範にわたる組織的な人権侵害が何十年にもわたり免責されてきたがために、イスラエルは増長し、パレスチナで国際犯罪を何度も繰り返しては激化させてきました。

 まず南アフリカは、イスラエル国(以下、「イスラエル」といいます)によるジェノサイドの作為または不作為が、1948年以来パレスチナの人びとに対し実行されてきた不法行為の「連続体の部分を間違いなく形作っている」ことを認めます。本訴状では、イスラエルによるジェノサイドの作為または不作為を、イスラエルによる75年に及ぶアパルトヘイト、56年に及ぶ占領、ガザ地区に強いた16年に及ぶ封鎖という広範な文脈に位置づけています。その封鎖たるや、国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWA)のある局長は「人民のサイレントキラー」と表現したほどです。

 人種差別撤廃委員会(以下、「CERD」といいます)が12月21日に警告したように、「パレスチナの人びとを標的としたヘイトスピーチやかかる人びとを人間扱いしない言説」は、ガザ地区における「人道に対する罪およびジェノサイドを防止するイスラエルと他の締約国の義務に関する深刻な懸念」を引き起こしています。この警告以後も複数の警告が相次いで発されており、中でも37人の国連特別報告者が、ガザにおける「ジェノサイド防止のための国際システムが発動されていない」と警告しています。

われわれは本日、パレスチナ国の、人権分野で活動するパレスチナの人びとの代理人として出廷しております。われわれが代理する人びとの中には、まさに数日前までガザにいたガザの住民も含まれます。ガザを何とか脱出し得たいくらか幸運なる人びとです。彼らの未来、およびいまだガザに残る彼らのパレスチナ人同胞の未来は、本件に関して本法廷が下す決定にかかっております。

私の発言を終えるにあたり、南アフリカ共和国法務大臣ロナルド・ラモラ閣下を呼び、南アフリカの実質的な冒頭陳述に入ります。

 

裁判長 ご発言ありがとうございました。それでは南アフリカ共和国法務大臣ロナルド・ラモラ閣下、ご登壇ください。どうぞご発言を、閣下。

 

冒頭陳述

ロナルド・ラモラ南アフリカ共和国法務大臣 ありがとうございます。裁判長および裁判官の皆様、この特別な事件につきまして、南アフリカ共和国を代表して皆様の前にこうして立つ機会をいただき、光栄に存じます。「はるかなパレスチナの人びとに手を差し伸べるとき、われわれは一体である人類の一員であることをしっかりと意識しながらそうするのだ。」われわれの〔民主化後の〕初代大統領、ネルソン・マンデラの言葉です。

南アフリカが1998年、ジェノサイドの罪の防止および処罰に関する条約(以下、「本条約」といいます)の締約を継承したのは、この精神においてであります。

この精神において、われわれは本件訴訟に取り組んでおります。本条約の締結国として、これこそが、われわれがパレスチナイスラエルの人びとに同じように負っている責務であります。

先に言及されたとおり、パレスチナおよびイスラエルにおける暴力と破壊は、2023年10月7日に始まったわけではありません。パレスチナの人びとはこの76年間にわたって組織的な暴力と抑圧を被ってきたのであり、それは2023年10月6日も、2023年10月7日以後も毎日続いております。ガザ地区では、少なくとも2005年以来、領空、領海、検問所、水道、電力、民間インフラ、また重要な行政機能に対し、イスラエルは支配力を行使しております。空や海からの出入りは固く禁じられており、イスラエルはわずか2か所の検問所を運用するばかりです。ガザという領域の至るところにイスラエルによる実行支配が続いていることに鑑み、ガザはいまだ、イスラエルの攻撃的な占領下にあると国際社会に認識されております。

南アフリカははっきりと、ハマスや他のパレスチナ武装勢力が2023年10月7日に民間人を標的とし人質に取ったことを非難しました。そしてこの非難は、最近では2023年12月21日付のイスラエルへの口上書の中でも改めて明確に示していました。

そこで述べたように、一国の領土に対し武力攻撃がなされたからといえ、またそれがいかに重大であれ――残虐な犯罪を含む攻撃であれ――法律上の問題としても、道徳上の問題としても、本条約に対する違反を正当化したり、弁護したりすることは決してできません。2023年10月7日の攻撃に対するイスラエルの報復はこのラインを超えてしまっており、本条約に対する違反を生み出しています。

かような証拠と、また本条約第1条に記載されているようにジェノサイドを防止するためできる限りのことをするというわれわれの責務に向き合い、南アフリカは本件訴訟を提起いたしました。

南アフリカといたしましては、イスラエルが、ジェノサイド条約締結国間で意図されているように、事前に提示した事実と提案を入念かつ客観的に検討した上で、法廷での問題解決を目的として本件訴訟に応じたことを、歓迎いたします。

今回の公聴会は、本法廷に南アフリカが仮保全措置の発出を要請したことにかかわるものであり、必然的にある限られた特定の焦点を持つこととなりましょう。私はマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの言葉を引用いたします。「万物がたどる弧は長いが、常に正義に向かって曲がる。」

南アフリカの訴訟は、6人の弁護士チームによって提起されました。アディラ・ハシム博士、テンベカ・ンクカイトビ氏、ジョン・ドゥガード教授、ブリーネ・二フラーリー氏、マックス・デュプレッシー氏、ヴォーン・ロウ教授です。

(1)アディラ・ハシム博士(上級弁護士)がジェノサイドの行為のおそれと、ジェノサイドの行為に対する永続的脆弱性の概要を提示します。

(2)テンベカ・ンクカイトビ氏(上級弁護士)がイスラエルにおけるジェノサイドの意図と疑われるものを分析します。

(3)ジョン・ドゥガード教授(上級弁護士)が一応の管轄権について検討します。

(4)マックス・デュプレッシー氏(上級弁護士)が現在脅威にさらされているさまざまな權利について論じます。

(5)ブリーネ・ニフラーリー氏(勅撰弁護士)が緊急性と取り返しのつかない害の可能性に関する論証を提示します。

(6)ヴォーン・ロウ教授(勅撰弁護士)が仮保全措置について説明します。

それでは裁判長、ハシム博士の発言許可を求めます。よろしくお願いいたします。

 

裁判長 ラモラ閣下、ありがとうございました。それではアディラ・ハシム氏、ご登壇をお願いいたします。ご発言ください。

 

(続く)

【仮訳】アリー・アブー・ヤースィーン「サラームの誕生日」(『ガザ・モノローグ2023』から)

サラームの誕生日

 

サラーム(平和)、またはサッルーム(五体満足)。わが孫娘の名がサラーム、その愛称がサッルームだ。二歳。色白で、瞳は外国の子どものようにみどり色。泣くことは本当に、本当にめったにない。誰をも愛し、誰からも愛されている。この子はサラーム。その名を体現するかのように、いつも穏やかだ。

わたしは住み家を失い、別の家へ身を寄せている。共に暮らすのは八十人ばかり。その中にはさまざまな年齢の子どもたちがいて、一番下の子は二か月。子どもたちだけで二十人を超えるが、家にはたっぷり余裕がある。

改めて言うが、サッルームは戦争の前、決して泣かなかった。今では毎夜、声を張り上げて叫びながら目覚める。それが一晩に二度、三度とある。真夜中にこの子の叫び声を聞いて、わたしたちはみな目覚める。ある者は悲しげな表情を浮かべ、ある者はシオニストを呪い、またある者はコーランを暗唱し、またある者はこ子に水を飲ませてやろうとし、またある者は「明日長老に見せなきゃ、ひょっとすると悪霊が憑いているかもしれないから」と言う。そこでこの子の母が言う。「この子が毎夜おびえて目覚めるようになったはじまりは、お隣のアル=ナアサンのお宅が爆撃されてからだよ。」 サッルームは自分のベッドで眠っていた。爆弾が落ちた瞬間、身体がベッドから一メートル以上も飛び上がり、それからまたベッドの上に落ちたので、恐ろしい叫び声を上げた。それ以来、叫び続けている。

サッルームの叫び声は伝染し始めている。この子が目覚めて叫ぶと、子どもたち全員が一緒になって同時に叫び始めるのだ。わたしたちは教養ある一族だとみなされていて、実際に戦争が終わるたびに、学校へ通う子の精神的な苦痛を和らげるため大いに力を注いだので、サッルームに生じているすべては戦争のせいだと分かっている。ときには一晩中、一睡もできないこともあった。この子が叫び始めると、わたしたちも一緒に叫びたくなるほどだ。

今日はサッルームの誕生日だった。共に暮らす子どもたち全員が、今日はこの子の誕生日だと分かっていたので、朝のうちに集まって、最高の誕生日にしてあげようということになった。まず石をふたつ持ってきて積み重ね、その上に木切れを載せた。それから土を取ってきて、泥のケーキを作り上げたのだ。そしてみんなでサッルームを囲んで、「ハッピー・バースデー・トゥ・サッルーム」と歌った。妻とわたしは小さな泥のかまどでお茶を温め、目には見えないシュロの葉の煙を胸いっぱい吸い込みながら、この世のあらゆる痛みを負った子どもたちを見つめて、こう言った。「神よどうか、この子たちの毎日がわたしたちのよりもよくなりますように。」 子どもたちはケーキを囲み、サッルームと一緒に泥の上に立てた見えないろうそくの火を吹き消した。それから、家の中庭で見つけたものをこの子にプレゼントしたのだった。ひとりが古い鉢を持ってきて、キャンディーボックスとして提供した。もうひとりが木切れをバラの花束のように見立てて渡した。三人目が、泥にまみれてところどころ破れた布を、まるで最高級の衣服のように差し出した。サッルームは贈り物を受け取ると脇に置き、みんながこの子にキスをしたので、この子の心と瞳は幸せでいっぱいになっていた。

遠くから見守っていた息子は、たとえ時間や労力がどれほどかかろうとも、自分の娘に本物のケーキを作ってやると決意した。しかしケーキづくりに必要な原材料はどこで手に入るのだろう?  息子は市場へ出かけて卵、小麦粉、またしばらく出回っていないバニラエッセンスを買い求めた。そしてデイルアルバラ中の道という道を歩き回り、ようやくケーキの原材料を手に入れて戻ってきた。

わたしたちは住み家を失ってここへ逃れており、ケーキづくりに必要なミキサーなどの調理用具を全く持っていないので、息子はパンを焼いている隣の家へ行き、お願いしてケーキを焼いてもらった。そして日暮れごろそのケーキを抱えて、まるで博士号を取ったかのように誇らしげに帰ってきた。わたしたちはまた子どもたちを呼び集めて、本物のテーブルを運び、置いたケーキの上に何枚かクッキーを載せて、サッルームのために子どもたちと一緒に歌をうたい、ケーキを切り分けてやると、みな瞬く間にたいらげてしまった。サッルームはベッドで眠りにつき、恐怖でまた叫び始めた。わたしたちは目覚めてこの子を落ち着かせようとしたが、その甲斐もなく、ふだん穏やかな天使のようなこの子は、夜が更けた今もなお安らぎを得ずにいる。

誕生日おめでとう、愛する孫娘よ。どうか末永く生きてほしい。

 

2023年12月20日

アリー・アブー・ヤースィーン

【仮訳】アリー・アブー・ヤースィーン「わが書斎へ」(『ガザ・モノローグ2023』から)

わが書斎へ

 

許してほしい。何ヶ月にもおよぶ戦争のせいで、おまえから離れざるをえない。戦争とそれがもたらす荒廃の意味を知るには、おまえはこの上なくうってつけだ。おまえの中にはレフ・トルストイの代表作『戦争と平和』が住んでいるのだから。そうだろ? わたしたちは『肝っ玉おっ母とその子どもたち』を繰り返し読んだ。そしてそれをいつかこの手で舞台にかけてやるとわたしは決心した。だから今ではもう、おまえを傷つける戦争の恐怖をわたしは恐れていない。おまえは自分の子どもを守る母親の勇気と胆力を手に入れたんだから。あれらすべての本と戯曲を、守るべき自分の子どもだと思ってほしい。

わが愛する書斎へ。知ってのとおり、わが家への電力は遮断されている。食べ物を料理するにも、パンを焼くにも、燃料がない。まるで干し草の山の中から針を探すように、人びとは木切れひとつ、段ボールの切れ端ひとつを探し回っている。みんなが命をつなぎとめるため、子どもを食わせるため、必要なだけどんな本でも持っていくことを許してくれ。わが親愛なる本の著者たちは、人びとのために自らの身を捧げてくれるはずだ。親愛なる友チェーホフアルベール・カミュジャン=ポール・サルトルジャン・ジュネシェイクスピア、 マフムード・ダルウィーシュ、 サミーフ・アル=カースィム、 ガンナーム・ガンナーム、 アルフレッド・ファラグ、 アーティフ・アブー・サイフ、 ムハンマド・アル=マーグート、 サアダッラー・ワンヌース、スタニスラフスキー、アウグスト・ボアール、おまえの棚の上に座している偉大な著者たちはみな喜んで燃える灯火となり、人びとを喜ばせてくれる。何しろわたしたちにとってこれらは、本の紙の上には収まりきらないほど大きな価値がある。著者たちが何を書いていたかは、世界とわたしが、わたしたちの精神以前に、わたしたちの心臓に刻みつけている。だから書斎よ、おまえのことは心配していない。むしろわたしが恐れているのはただ、本が自分の成長の糧となることを人びとが知ってしまうのではないかということだ。

わが大切な書斎よ、おまえは本当に大切だ。わたしは決して忘れない、1993年、カイロで開催されたアラブ演劇パフォーマンスフェスティバルに参加した日のことを。他の参加者たちはみな家族へのお土産を抱えて帰った。わたしは大きなかばんを携えて帰ってきた。中いっぱいに、最高にそそられる演劇関係の本を詰め込んで。重くて、道中は大変だった。やっと帰り着いたとき、お土産を期待して出迎えてくれた妻と子どもたちにわたしが差し出したスタニスラフスキーは、ほほえみながらこう言った。「わしに免じてこの演劇バカを許してやってくれ」

わが愛する書斎よ、わたしを待っていてくれ。すぐに帰って来るから。そのときは夜を明かして探りつくそう。人間の魂を、素晴らしくも不思議なこの世界を、言葉の奇跡と美を、そして輝かしくも偉大な本の書き手たちのことを。

 

2023年12月31日

アリー・アブー・ヤースィーン

言語キャピタリズムから言語コミュニズムへ――言語はコミュニテイの共有財産であり、大規模言語モデル(LLM)の私有化はコミュニティに対する越権である

産業翻訳に従事する言語労働者たち。私たちほど、何十年もにわたり互いの顔も見えないほど分断され孤立している労働者のタイプが、他にあるだろうか?

私たちの存在はふだん表に見えない。ただ、クライアントや翻訳会社が所有する「翻訳メモリ」(原文と訳文をペアで格納しているデータベース)の中に、訳文の作成者や更新者として記録されているだけだ。

それでも私たちは、輸出入されるあらゆる商品やサービスの広告からマニュアルまでにかかわり、また国境をまたいで活動しようとする組織や企業を言葉でつなぎ、グローバル資本主義の構造的な搾取に多かれ少なかれ加担する一方で私たち自身も搾取されながら、外国語を読めない人にも理解できる言葉で商品やサービスを利用できるよう助けてきた。

私たちを抜きにしては、例えばITの普及はありえなかった。私たちが力を貸さなければ、ラグジュアリーブランドが現地の販売者と手を切ってウェブサイトの現地語版を公開し、自分たちで高級商品を販売することによりそれまで以上に大きな利益をあげるようになることもなかった。私たちがいなければ、旧ツイッター日本語版の各種ポリシーも日本語で読めるようになりはせず、まして日本語UIも使えはしなかった。

さまざまな問題を引き起こしながらも発展を続ける今日のグローバル経済は、私たちあってのものなのだ。はじめに私たちがあったとはいわないが、私たちは確かに、デジタルによって加速したグローバル経済の中を流通するあらゆる言葉とともに常にあった。

にもかかわらず、私たちが手掛けた訳文は、新しいプロジェクトやAIの機械学習に使い回され、私たちはそのたびに一銭も受け取ることがない。翻訳メモリが言語資産と呼ばれ、仮に売り買いされていたとしても私たちに知らされることは少しもない。しかも、単価に下向きの圧力をかけるために私たちの間で競争を続けさせようと仕向けられていて、新規参入者にとって過剰に厳しい言説を振りまくほどに追い込まれている。

グローバルな資本主義の中で、プラットフォームを通じてデータを収集し一手に掌握する者たちは、私たちが築き上げたにもかかわらず私たちが所有することを許されていない言語資産を利用し、私たちの言語労働の一部または全部を機械に置き換えようとしたり、生産手段を持たず自らの言語運用能力を労働力商品として販売するほかない私たちに対してさらなる値下げを迫ったりしている。こうして私たちはあまりにも隠され、軽んじられ、無視され、そう遠くない将来に無くなる職業ランキングの上位に位置づけられている。

このようなことがまかりとおっているのは、私たち言語労働者が他分野では類を見ないほどばらばらに分断され、ひたすらに競争させられ続けているからだ。

私たちは、手をつながなければならない。私たちが本来受け取るはずだったものを、彼らから取り戻すために。

機械翻訳は、私たち翻訳者が主体となり、私たち自身が手掛けたデータに基づいて構築し、私たち自身が所有し、私たち自身のために使用不使用を決めるべきだ。

クライアントや翻訳会社が主体となるのも、他人の翻訳物をかすめとるのも、大企業に所有されるのも、単価引き下げのため使用されるのもダメだ。

問題の核心は、重要な言語資産である翻訳メモリが、私たちにより築かれていながら大資本により所有されていること。これは、本来翻訳者コミュニティのものであるはずのものを私利のために取り上げているに等しい。ならば私たちは、翻訳者・翻訳校閲者・言語品質管理者の労働者協同組合を結成し、組合員全員が出資、労働、意見をし、コミュニティ内部だけで翻訳メモリやエンジンを構築・共有してはどうか?

方法は問わない。ともかく言語キャピタリズムの奴隷であることはもうやめて、言語コミュニズムへシフトしよう。

懸念――機械翻訳エンジンの開発における搾取的なデータ利用の可能性

AI翻訳ツールを提供する独DeepLは7月3日、日本法人DeepLJapanを設立したと発表しました。

私は、機械翻訳エンジンの開発において搾取的なデータ利用がなされている可能性を、深刻に懸念しています。

例えば、DeepLの機械学習に使用されたLingueeをみてみましょう。これはもともと、複数の言語で同じ内容を公開しているウェブサイトやオンライン文書から文を抽出し、一対一で対応させる処理(「アラインメント」)を行って構築されたようです。実際に何か単語を検索し、表示される文の出典URLをクリックするとそれを確認できます。

困ったことにこのような著作物の利用は2018年、安倍政権時代に著作権法に加えられた世界的に類を見ないらしい改正(下の画像)により既に本邦では合法とされます。おかげで日本はAI天国とみなされており、ChatGPTで知られるOpenAI社からも先日CEOが来日して自民党の会合に出席するなど進出の気配をみせています。にもかかわらず、翻訳者たちやウェブサイト・文書の所有者たちにどのように報酬を支払うかはまともに議論されていません。

著作権法第三十条の四

さらに困ったことに、この手法ではほとんどあらゆる出版物の電子データを利用することができてしまうのです。そして理論的には、少なくとも10万ユニットほどの文を揃えられる分量の原書と訳書の電子データを用意し、作業者を多数、短期間雇用してアラインメントをさせれば、機械翻訳エンジン開発に不可欠な要素のひとつである言語データベースは完成します。この手法は、いくつかの翻訳会社大手がすでに取り組んでいるような、企業として所有するTM(Translation Memory:原文と新たに作成した訳文をペアで格納するデータベース)をもとに機械翻訳エンジンを作り上げる手法に比べて、はるかに大量のデータを取り扱い、はるかに広範囲の分野に対応することが、資金の続く限りできてしまいます。そして資金は、機械翻訳が喧伝されればされるほど集まってくるのです。

こうしてTMばかりでなく、TM/CATツールを使わないので安全圏内だと思われていた翻訳書などの出版物までもが、機械翻訳エンジンの開発に利用されるようになるとは、産業翻訳者のみならず出版翻訳者もまた、多くの人が少なくとも10年前にはまさか予想もしておらず、今も決して積極的に同意できないでしょう。

そろそろこの動きをみんなで食い止めませんか。私は翻訳者の皆さんにみっつのことを提案します。

  1. 産業翻訳会社に対し、MTPE(機械翻訳+人間編集)案件を引き受けないか、受けるとしてもHT(人間翻訳)以上の単価で引き受けると表明する。
  2. 出版社に対し、機械翻訳エンジンや生成AIの開発に出版物が利用されることに反対する姿勢をとるよう訴える。
  3. 国に対し、著作権法の再改正を求めていくと同時に、AI所有者が第三者により作成または所有されているデータを機械学習に使用して構築したあらゆるAIに高額の税をかけ、徴収した税金を福祉のためだけに使うよう求めていく。こうして翻訳者は直接利益を受け取れなくとも間接的に国民全員とともに利益を受け取ることができる。

業界団体に一切加入していない私にとっては、これを組織的に実行するにはどうすれば最もよいかがまだ分かっていません。労働組合の結成が必要になりそうな気もしていますが、他の既存団体で現在の流れを食い止める力をもつ方々がいるなら、ぜひご自身のためにも行動をお願いいたします。
私はこれらの提案事項が私のものであるなどと主張しません。実行に移す方がひとりもいなくとも私は今後もさまざまな機会にこの提案をシェアし続けていきますが、もしも実際に動いてくださる方がいるならどうぞご自分のイニシアチブとして提案していってください。

 

なお、複数の多言語大手で正社員として働いた中で、翻訳か校閲にたずさわる部門では、MTPE(機械翻訳+人間編集)に積極的に賛成する社員に私は出会ったことがありません。管理職でさえ上に命令されているのでというエクスキューズをつけていました。

ただ企業として競争優位性を失わないためにMT進化の流れについていかねばならないという経営判断があり、同時にクライアント側のコストカットの強いニーズから説明を重ねてもMTPEが選択されるケースが相次いでいました。

言うまでもなく、翻訳会社の社員たちは業界の破滅を望んでいません。AIが引き起こすであろうdisruptionについては、誰かにどこかで止めてほしいと思っているか、少なくとももっと害のないものに変わってほしいと願っているはずなのです。しかし内部からそのアクションを起こすことは当然ながら困難です。ならば、私たちが止めましょう。