ふたたびまどろみのなかで

原口昇平のブログ

スポーツと心身を過去の呪縛から未来に向けて解き放つために

私はスポーツから閉め出されていると思っていた。水泳以外は、学校体育でまともにできたためしがなく、実際に運動神経ゼロだと言われてきた。スポーツは排他的だと思い込んできた。そうではなかった。スポーツを自分たちだけのものにする人びとの思い込みを刷り込まれてきただけだったのだ。

 

スポーツの本質はインクルーシブだ。断固として、絶対に、そうであるべきだ。スポーツから本当にさまざまなメリットを受け取ってきた人びとなら誰もが同意するだろう。スポーツそれ自体は決して排他的でない。自分自身の身体を肯定する参加の仕方が必ずあるはずだ。

 
だからこそ世界的なスポーツの祭典には、いま批判されている賄賂や政治との癒着やスタジアム建設の劣悪な労働条件を解決することのほかに、そのインクルーシブな本質を明らかに示してほしい。多様な身体のみならず、例えば精神に社会的障害がある人のチームスポーツも種目として採用されてほしい。また、シス女性アスリートを圧倒する身体的優位があるとされるために排除されるトランス女性も、逆にシス男性アスリートに圧倒的に劣るとされるためにスタートラインにすら立てないトランス男性アスリートも、それぞれ自分の身体性を決して呪われることなく何らかの方法で参加できるようにしてほしい。トランスの参加は、スポーツの種目ごとに適切な(部位の筋肉量をはじめとする)さまざまなパラメーターで階級を設定するだけで可能になるのではないか。なぜ制度に合わない身体や精神を排除するのか。身体や精神に合わせてフェアな制度を再設定すべきではないだろうか。

 
20年近く前、うつ病で苦しんでいたころに公園のベンチから目を細めて眺めた光景を私は思い出す。新たに輪の中に入った子どもに合わせて、あるいは新しい提案があるたびに、子どもたちはルールをすぐに変えて楽しげに遊び続けていた。子どもを理想化するつもりはない。ただこれからの選手たちの柔軟さを、私たちの硬直した姿勢で潰すことはないようにしたい。