ふたたびまどろみのなかで

原口昇平のブログ

Back for Bach to Folk

岩川光さんが6/17(土)、所沢・松明堂音楽ホールに戻ってきた。リサイタルツアー2023「バッハ×ケーナ」の最後を締めくくるためだ。

そして、ケーナを通じてバッハに新しい生命を吹き込むと同時に、バッハによりケーナの新たな可能性を切り拓いてみせた。

 

プログラムはツアー中、その日の会場、天候、雰囲気に合わせて毎回変えているのだそう。今回は、下記のとおり。

 

前半

  1.  不詳:キリエ ~ バッハ:無伴奏チエロ組曲第6番前奏曲
  2.  バッハ:無伴奏フルートのためのパルティータ全曲
  3.  バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番全曲

後半

  1.  ピアソラ:6つのタンゴエチュードより第4曲(緩)と第3曲(急) ~ バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番から第3楽章サラバンド(緩)と第2楽章コレンテ(急)
  2.  バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番全曲(ハチャケーナ使用)

アンコール アイルランド民謡メドレー

 

ケーナによるバッハはまるで、西洋音楽史を裏面から書き直すかのようだった。曲間に岩川光さんが客席に向けて語ってくれたところによると、コロンブス到着の数十年後には西欧から来た征服者が最初の教会を建てたそうなのだが、その記録に先住民の中の奏者たちが西欧の楽器を驚くほど速く、いともたやすく次々にマスターしていったことが書かれているそうで、しかも何人かは西欧へ渡ったと考えられるという。岩川さんはここからインスピレーションを受けたそうだ。

岩川さんの試みは、私が思うに、西欧各地の民謡に由来し宮廷で洗練されて変貌した、いわば下から上へ吸い上げられた舞曲を集めたバッハの組曲を、被征服民の楽器であるケーナによりもう一度上から下へ取り戻すように演奏しなおしたらどうなるのか、というワクワクする挑戦だった。

結果として、バッハは、ケーナ独特の倍音を含む音色や息遣いのおかげでとんでもなく豊かな表情をめざめさせられ、ケーナは、バッハが要求し岩川光さんだけが応えられるとんでもない超絶技巧により新境地を切り拓いていた。

 

さらに岩川さんの即興で急遽曲目が差し替えられ、ピアソラとバッハの対話空間が設けられたことも、個人的にはたまらないほどうれしかった。

ピアソラは当初、旧態依然のタンゴに見切りをつけて現代音楽を学ぶためパリに留学するも、師事したナディア・ブーランジェから本分がやはりタンゴにこそあることを見抜かれたことをきっかけに、タンゴへ立ち戻ってやがてその革命児となる。

そのピアソラが明らかにバッハを意識して作曲した6つのタンゴエチュードから緩急の2曲と、さらにその応答としてバッハ当人による無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番から緩急の2楽章を、岩川光さんは演奏してくれたのだった。
私はケーナによるピアソラを聴くのは初めてだったので、岩川さんのおかげで私の中のこの作曲家にも新しい表情が生まれた。4拍子を3・3・2・3・3・2や3・3・3・3・2・2に分割するあの革命児独特のアーティキュレーションが、ケーナに強い息を吹き込んだときのあの渋みのあるアタックで、すっかり生まれ変わった。

 

アンコールも素晴らしかった。後半最後のバッハの組曲の最終曲ジーグはもともとスコットランドアイルランドの民謡に由来する形式をとっている。その流れから、岩川さんはアンコールでさらにケーナアイリッシュのトラッドナンバーを奏でた。そうすることでバッハから民謡へバックしただけでなく、いわばブエノスアイレスで日本人の友と酒を飲みかわすアイルランド人の姿を、岩川さんは音楽で私たちの前に呼び出してみせたのだった。

 

岩川光さんの音楽はこうして、時間と空間と社会階層を飛び越えるこの縦横無尽の文化的越境によって、どこへでも移ろいながらその場のものを吸収してはしなやかにしたたかに生き抜いていく力が人の根底にあることを、私に思い出させてくれたのだ。本当に、至福のひとときだった。

 

Hikaru Iwakawa | 岩川光 ウェブサイト

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松明堂音楽ホール