ふたたびまどろみのなかで

原口昇平のブログ

差別の二方向性

かつて初就職先でよく一緒に昼飯を食べに行ったドイツ白人男性同僚に、あるときこう尋ねた。
「もしも自分もやってたら直したいから教えてほしいんだけど、日本でどんな差別を経験してる?」

 

「そうね。プラスの差別、かな」と彼は答えた。「顧客訪問へ例えばフィリピン人女性が行くか、僕が行くかで反応が違いすぎる」


「なるほど……」
「そう、それはぜんっぜん気持ちよくない。しかも顧客だから言いにくい。本当にいやだ。やめてほしい」
「自分もやってるかもしれない、気をつけるよ」と私は答えた。
「ありがとう」

 

彼は本当にまっとうな人権意識の持ち主だ。

そして思えば、自分もプラスの差別を受けてきた。

 

例えば、近所の小児科は、医療に関しては良心的だと思うんだけど、妻が行くと親しみあふれるタメ口で、私が行くとキリッと敬語になるん、やめてほしい。

また例えば、近所の子ども館へ初めて行ったとき、妻が書類に必要事項を記入している間に、私が子どもを連れて施設利用の説明と注意事項を係の人から聞いていて、あとで合流したときに私が妻に要約して説明したら、係の人に「お父さん偉い! すごい!」て意味不明なくらい褒められたんだけど、あれもやめてほしい。逆は褒めんやん。


そういうの挙げたら、ホンマにキリないくらいあるやん。なあ、下駄履かされてるわれら男性諸君?

プラスの差別を受けたときは、マイナスの差別を受けたときと同じくらい、ちょっと目が回る。
「は? どゆこと? なんで?」ってぐるぐる考える。
それはやっぱりきっぱり否定すべき事態だったと確信するころには、もう言うタイミングを逃していて、でもまだ適切な否定の仕方が分からず内心モヤモヤプンスカしてたりする。


なんでプンスカするのかっていうと、プラスの差別を受けた人はそれを肯定した時点で、自分自身こそが(対になるマイナスの差別も合わせて)差別をしたことになっちゃうからなんだよね。
でも、した人に言いにくいんだよ。
相手はたいていただ褒めてるつもり、ただ持ち上げてるつもりなんだもん。

 

いちばんモヤモヤプンスカするのは、すぐやめてもらえるよう、それでいてあまり波風立てないように伝える方法が、すぐに見つけられない自分自身に対してなんだけどもね。
子ども館の件なんて、係の人は年配女性だったんだけど、あれって父親のご機嫌をとっておいたほうが、父親のためだと思ってるからじゃないよね。家庭円満というか、最終的に母親の安心・安全につながると思ってるからだよね? そこに、恥ずべき男たちがいた悲しく憤ろしい歴史がみえる。ひどすぎるじゃない? なんてひどい歴史だろう。ぜったい変えなきゃって思うじゃん。ぐるぐるぐるぐる考えるじゃん。気がついたらもう、適切な言葉も見つからないまま、言うタイミングも逃しちゃってる。

 

もっとうまくやめてもらえるようになりたい。鍛錬中だ。