ふたたびまどろみのなかで

原口昇平のブログ

「男性から半分降りる」ということ

私は1月5日、それを今年のテーマとすることに決めた。といっても半分女性になるわけではない。以前からこれに取り組んでいたけれど、有害な性質はまだまだ私の中にある。その性質をもっとなくしていくということだ。

 

取り組みの契機を私にもたらしたのはコロナ禍だった。リモートワークのおかげで、職場の男性同士で顔を突き合わせる場面がほとんどなくなり、ホモソーシャルな関係に巻き込まれずに済むようになった。

異性愛男性同士で資本と権力を分配するホモソーシャルな人間関係の構造は強力だ。いったん中に巻き込まれると、正気に戻らなければ巻き込まれていることが分からなくなるくらいだ。

子どもが産まれたばかりのころ、当時の直属の男性上司から「きみのことはよく分かる。ぼくも父親になってからずいぶん大変だった。支える人が増えたのだから、今まで以上に仕事に打ち込もう」と言われた私は猛烈な仕事人間になった。

ちょうど、人生に一度しかないと思えるくらい大きなプロジェクトが降ってきたときでもあった。私の力を買ってもらえているし、今こそ自分のキャリアのためにも、妻子のためにも正念場だと思っていた。でもしばらくするとこれはおかしいと思いなおした。私が一時間多く仕事をすると、妻が一時間多く家事や育児を担うのだ。

つまり、私は、仕事と呼ばれる有賃労働を残業で一時間多くやるぶん家事や育児と呼ばれる無賃労働を一時間多く妻に押し付けることによって、妻から有限の時間を奪い、男性上司へと、最終的にはほとんど男性が占める資本家たちへと、捧げてしまっていたのだ。

しかし私の延長した有賃労働から彼らは余剰の利益を受け取る一方で、私の給与は、妻の貴重な時間の喪失に見合うほど上がりはしない。にもかかわらず私が残業を断りづらかったのは、彼らが誠に善良な紳士らしく私の苦悩に共感を寄せてくるからであり、またときには私の仕事ぶりを褒めるからでもあった。彼らは、私を従わせる必要があるときに限って、対面でしっかり関わろうとしてくるのだ。一緒に食事をとって、ときにはおごりさえする。基本的には私の悩みを丁寧に聞くふりをして、実際にはどんな悩みもうまく反転させて仕事に打ち込ませるための契機にしようとする。

 

当時、私は世界最大手クラスの翻訳会社の正社員だった。リードトランスレーターといって、複数のクライアントを担当し、小さな案件は自ら翻訳&校閲して納品。中~大規模な案件は作業方針を設定してフリーランスの翻訳者や校閲者を複数人手配し、自分もどこかのフェーズに参加しつつ最終校正をかけて納品。フリーランスがいなければ決して成り立たない翻訳の現場の仕事だ。

この仕事にはそもそも構造的なジェンダー不平等があり、しかもそれをデータ資本主義が加速させつつあった。

まずジェンダー不平等の存在は単純な男女比からも明らかだ。ざっくりいうと、当時、日本法人の登録フリーランスで3:7、管理職でない社員で5:5、管理職で7:3、そして日本の幹部は9:1くらい。ビジネスを成立させるのに必要な現場の労働力の中心は非正規女性が、幹部は男性がそれぞれ占めていた。

次にデータ資本主義については業界特有の背景があった。当時、新開発の機械翻訳エンジンを導入したワークフローで、フリーランスの翻訳の単価が30%引き下げられた。だがそのエンジンは(公然と知られている事実なのではっきり書くが)大部分でフリーランスが納品してきた訳文を大量にAIに学習させて作り上げられたものだったのだ。

業界外の読者のために少し説明すると、産業翻訳では原文と訳文を文単位でペアにして格納するデータベース(「翻訳メモリ」という)が使用されており、案件のたびにフリーランスに提供することで担当者が異なっても訳語や文体を統一できるようにしている。それだけでなく、新規案件で原文が過去のデータと完全にであれ部分的にであれ一致する場合は、対応する過去の訳文が使い回される分、文単位でどれほど一致しているかによってフリーランスの報酬が引き下げられることが常態化している。

そのように翻訳メモリとの一致率に応じて案件の報酬が引き下げられること自体については、長年その会社と一緒に働いてきたフリーランスは、渋々受け入れてきた。だが、機械翻訳エンジンについては、まさか自分たちの訳文を格納した翻訳メモリが開発のための機械学習に使われるなど、多くの人が予想してもいなかったはずだ。まじめに働くほど自分の首が締まるというわけだ。そして言うまでもなく、現在におけるAIの実性能は常に未来を先取りする謳い文句を下回る(はっきり言おう。開発元のプレスリリースは投資家から資金を集めるためにいいことしか言わないし、営業は市場競争の中で契約を取るためにメリットを誇張するし、メディアは謳い文句と性能の不一致を検証する手段を持たないし、顧客はコストカットを常に強く欲しているし、フリーランスは翻訳会社と秘密保持契約を締結しているので、謳い文句と実性能の間にどれくらいの開きがあるか、個別具体的な例示によって強く批判されることはないだけなのだ)。機械翻訳エンジンによる作業効率の向上は実はとても限定的で、逆に現場では効率が下がることも多々ある。すばやく働き高品質の成果物を納めろというプレッシャーがかかっている中で、現場の言語労働者が謳い文句と実性能のギャップをぎりぎり何とか埋め合わせているだけだ。そうしなければ機械翻訳エンジンを導入した案件自体を拒否するしかない。

その会社の一員であり続けるには、機械翻訳エンジンの導入を呑むしかなかった。それが顧客の要望であり会社の方針だ。だが効率化の名目で導入されたエンジンの大部分は、男性よりも多く家事や育児を担わされることが多い女性フリーランスがそれでも何とか時間をやりくりして完成させてきたデータをベースにしている。社員であり続ける限り、自分も現場の人間として搾取されつつ、この搾取に加担していることになる。

機械翻訳エンジンによって生まれる利益は、なぜ彼女たちに還元されないのか? なぜ、男性が優位なポジションを占める企業の上層部へ、AIに投資する資本家たちへ、最終的にはほとんど男性しかいない世界の大富豪たちへと吸い上げられていくのか? 答えは簡単だ。私たちがこの搾取の構造から降りないからだ。そこに居座ることは、上納金を搾り取っては上に媚びているチンピラとどれほど違うのか。有害性をビジネスマナーで覆い隠しているぶん、もっと悪いではないか。

私は、降りた。猛烈な仕事人間であることを辞め、産業翻訳ではあるがあまり搾取的でないビジネスモデルを構築している会社へと転職し、尊敬すべき非常に有能な女性上司のもとでリモートワークで働き、家事と育児にもっと私の時間を注ぎ込んでいる。かつては、その世界最大手クラスの翻訳会社を辞めることはもっと貧乏になる道だと思いこんでいた。しかし実際には年収は上がった(これは不思議ではない、あまり搾取的でない企業はフリーランスはもちろん社員にも正当な報酬を与えるのだ)し、大切な妻子と充実した時間を過ごせていて、以前より少しばかり幸福になったと感じている。

 

どうか、すべての労働者男性は、私と一緒に、異性愛男性間のホモソーシャルな人間関係に支配された産業構造から半分降りてくれ。もう女性差別をこじらせるな。あなたがたの生きづらさを作り出しているのはフェミニストでは決してない。もっと別の場所にいる。闘う方法はないわけではない。共に模索しよう。

 

「もう隷従はしないと決意せよ。するとあなたがたは自由の身だ。敵を突き飛ばせとか、振り落とせと言いたいのではない。ただこれ以上支えずにおけばよい。そうすればそいつがいまに、土台を奪われた巨像のごとく、みずからの重みによって崩落し、破滅するのが見られるだろう」
――エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論西谷修監修、山上浩嗣訳(ちくま学芸文庫、2013年)